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Rick's Daily 003

 

 

 

 

―――クライヴはすごい雨の音で目が覚めた。カーテンを開けて外を見る。窓の外は真っ暗で、朝6時とは思えない。窓を叩く横殴りの雨が激しい音を立てている。

 

 

昨日からこの地域に低気圧が流れ込み豪雨になると昨夜のニュースで言っていた。

乱暴な雨のアラームのせいで普段の起床時刻よりも随分早くに目覚めてしまった。クライヴはシャワーを浴びてゆっくり朝食を摂り、雨のせいで渋滞になるのを危惧して早めに家を出た。

 

 

 

案の定市街地に入ると道がいつもよりも混んでいて、クライヴは余裕を持って家を出た自分を褒めたくなる。信号が青になっても少しも進まない車の列にため息をついて、ステアリングを握りながら車の列が進むのを待った。

 

 

無造作に選んだ局のラジオからはこの天気の注意報ばかりが流れている。道路の横を流れるノーズ川は茶色に濁っていて、荒々しく水しぶきを上げている。

 

 

 

また、乗用車2台分しか進まないまま信号が赤に変わった。このぶんだとしばらくこの信号すらも突破できないだろう。

そう思ってうんざりしていると、不意に携帯が鳴り出した。クライヴは慌ててディスプレイを見る。

 

 

 

“Evan Acland”

 

 

 

真面目な性格で普段から一番よく動く隊員だった。遅刻や欠勤は一切ない。だからこんな時間に連絡があるということは、よほどの事態が起きたのかもしれない。クライヴはディスプレイの通話ボタンに触れた。

 

 

「もしもし?エヴァンか?」

電話の向こうからは激しい水の音が聴こえる。川か何かが近くにあるのだろう。それだけで妙な胸騒ぎがした。

 

 

“…テン…キャプテン!?…聞こえますか!?”

通信状況がよくないのか、途切れ途切れに声が聞こえてくる。

 

 

「聞こえるよエヴァン、どうした?」

“朝のお忙しい時間にすみません!あの!ちょっとご相談なんですが!”

エヴァンが水の音にかき消されまいと懸命に大きな声で喋っているのがわかる。その緊迫した声に緊張感が高まった。

 

 

「どうした?言ってみろ」

“あの!今日もしかしたら少し!遅れるかもしれないんです!”

「わかった、構わんがどうした?この雨のせいか?」

“……犬を…犬を!助けたいんです!”

「…犬?」

“いまノーズ川の河岸にいるのですが!この濁流で、子犬が今にも流されそうになってて!”

 

 

エヴァンが泣きそうな声で訴えてくる。言うところによると、氾濫したノーズ川な真ん中で、震えながら木片に乗っている子犬がいるのだと言う。その情景が容易く想像できて、クライヴの口から小さく息が漏れた。

 

 

「ノーズ川って、どこらへんだ?」

“下流です!あの!ユマニティマートのあるあたりの!”

ユマニティマートはクライヴもよく買い物に行くからわかる。生活雑貨から食料品までありとあらゆるものを備えた、近隣住民たちに愛されるスーパーマーケットだった。

 

 

“あ!もうダメです!ちょっと!行ってきます!!”

 

エヴァンが電話口でそう叫ぶと、そのままブチリと電話は切れてしまった。

 

 

クライヴは道路の隣を流れるノーズ川を見た。ノーズ川は雨のせいでかなり流量が増えている。エヴァンのような細い体ではどれだけ泳力があっても流されてしまいそうなくらいだ。

 

 

このあたりは堤防が高いから氾濫はしていないが、ユマニティマートのあたりは土地が低く堤防もそんなに高いものではなかったから氾濫する可能性もある。

 

 

 

エヴァンが流されてしまったら。

子犬を抱えて水死体で見つかったりなんてしたら。

そこまで想像して、クライヴはすぐさまエヴァンのナンバーにリダイヤルする。しかし、無情にも電話口にエヴァンが出ることはない。

 

 

 

ステアリングを目一杯まで切って車の列を強引に抜けた。ユマニティマートへ抜ける道なら知っている。クライヴは必死に車を走らせた。

 

 

 

 

ユマニティマートからほど近い場所で、エヴァンの愛車を見つけた。そしてそこには脱ぎ捨てたシャツがある。しかし、川の流れにどれだけ目を凝らしても、肝心のエヴァンや子犬の姿は見当たらない。

 

「エヴァン!いたら返事をしてくれ!なあ!エヴァン!」

 

必死に叫んでも全く返事がない。そもそもこの雨と川の音で聞こえないかもしれない。携帯は車の中、座席の上に置きっ放しだった。

 

クライヴは川の近くまで下りてその土手を見渡す。雨で視界が悪く、あまり遠くまで見えない。泥水にぬかるんだ土手を走りながら、エヴァンの名前を呼ぶ。それでも返事はなかった。

 

 

クライヴは泣きそうになりながら名前を呼んだ。エヴァンの笑顔や真剣な顔が脳裏を駆け巡る。そういえば、ずば抜けた才能と身体能力を持ってはいたが、中でも泳ぎだけは少し苦手にしていた。いつもチームでは一番の成績を残していたが、泳ぎではチームメイトのパウエルに負けることがあった。

 

 

 

クライヴが携帯を手に司令部に連絡をしようとしたときだった。向かいから歩いてくる上半身裸の男とその腕の中で震える子犬の姿が見えた。エヴァンは子犬に何か話し掛けているようで俯いて見える。クライヴは大きく手を振って駆け寄った。

 

「…エヴァン!」

「…キャプテン!?」

 

クライヴに気が付くとエヴァンもこちらへ駆け寄ってきた。その腕の中にはゴールデンレトリバーらしき子犬の姿。

 

 

 

「わざわざ来て下さったんですか!?」

「…無事でよかったよ」

「…すみません、キャプテン。あなたまでこんなに濡れてしまった」

 

 

 

そういうとエヴァンはクライヴを片手で抱きしめた。もう片方の手は子犬を優しく抱いている。不意にそんなことをされて、クライヴは顔が熱くなるのがわかった。濡れた髪からは泥のにおいに混じってほんのりシャンプーの匂いがする。

 

 

 

「車に戻りましょう、タオルも着替えも積んでいますから」

 

エヴァンはクライヴと子犬に優しく笑い掛けると、クライヴの前を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「…そんなこともありましたね」

「そうだな、そのときのワンコがもうこんなに大きくなったんだもんな」

「オレたちも年を取るわけです」

「だな」

 

リックの頭を撫でながらクライヴが笑った。リックはソファに腰掛けるクライヴのお腹の上で気持ち良さそうに目を細めている。いまはもう、あのときのみすぼらしい子犬ではなくなった。

 

 

 

「しかしリックは本当にクライヴのお腹の上が好きですね」

「普段はお前にばかりくっついているのに、ソファに座るとこうだもんな」

「オレは愛するものが二人まとまっててすげえ幸せな光景ですけどね」

 

 

 

二人で見つめあって笑うと自然にくちびるが近付く。優しく舌同士を触れ合わせてキスをした。

 

 

 

「あのときはお前が溺れたらどうしようかと思ったよ。ほら、お前あの頃は泳ぎだけ少し苦手だっただろう」

「そうですね。だから悔しくて毎日練習してたんですよ」

「だから最近はあまり気にならなくなってきたのか」

「そうかも」

 

エヴァンが少し得意げに笑った。そしてリックの鼻と自分の鼻とをくっつける。

 

 

 

「リック、お前は幸せか?」

「…幸せだ」

「クライヴが答えてどうするんです」

「俺がヤキモチを焼くくらいに愛されているんだから、幸せじゃないわけないだろう」

 

 

 

クライヴが自分の言ったことに照れて少し笑う。エヴァンはそんなクライヴの横顔を見て胸の中が幸福で満ちていくのを感じた。

 

 

 

「さて、寝ましょうか」

「そうだな」

 

そう言いながらクライヴはリックを高く持ち上げてそのまま優しくだっこした。

リックは赤ん坊が抱かれるようにだっこされている。

寝室に入り、3人で川の字になって寝転がった。キングサイズのベッドを購入してよかったと、エヴァンは心底そう思う。

 

 

 

「クライヴ、愛してます」

「俺もだ」

 

3人で抱き合う。この瞬間が一番幸せだ。リックが鼻を鳴らした。

 

 

 

「…リック、本当にオレの気持ちがよくわかってる。ありがとうな、リック」

 

リックとエヴァンが見つめ合うと、リックが不意に起き上がってドアの外へと出て行った。

 

 

 

「オレの友人の中で一番気が利くのはリックですからね」

 

エヴァンが片目を閉じる。

 

 

 

「…かなわないな」

 

エヴァンがクライヴのくちびるを奪う。そしてすぐに首筋にもキスを落とした。

窓の外は星が煌めいている。リックが部屋に戻ったのはそれから2時間後のことだった。

 

 

 

 

作:yukino

 

 

 

 

 

 

 

 

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