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Rick's Daily 001

 

 

 

 

 

ボクのご主人は2人います。

ひとりはエヴァンさん!

幼いころに死にそうになっていたボクを拾ってくれた命の恩人です。そしてもうひとりはエヴァンさんの恋人のクライヴさんです。

2人はとっても仲良しで、いつも隣同士にいます。

 

 

エヴァンさんはクライヴさんが大好きで、ボクによくしてくれるチュは、クライヴさんにもよくしてあげています。クライヴさんもお返しにチュをしてあげたり、寝る時間になっても2人の声がよく寝室から聞こえてくることもありますが、ボクは犬ですから、2人の声がどんな気持ちの成分で出来てるかわかるのです。

 

 

そのときの声は、とっても恥ずかしそうだったり照れ臭そうだったり。

ときどきエヴァンさんは、ボクの前では出さないような低い声でクライヴさんに囁くこともあるんです。その声の成分は"愛おしい"の気持ちがぎゅっと詰まっています。あ、この”愛おしい”という言葉は、エヴァンさんに教えてもらった「気持ち」を表す言葉なのです。

 

 

ボクがこの家に来て間もない、まだエヴァンさんが一人でこの家に住んでいた頃。家に帰って来てすぐにボクにご飯をくれていたのですが、そのとき隣で1日の出来事をボクに教えてくれるんです。

 

 

そのときのボクはせいぜい2,3の気持ちの成分しか持ち合わせていませんでしたが、毎日そうしてエヴァンさんがいろんな気持ちを教えてくれたのです。

エヴァンさんに教えてもらった"愛おしい"は、ボクがエヴァンさんに対してしっぽを振りながら駆け寄っていくときの気持ちととってもよく似ていました。

 

 

「リック、クライヴが愛おしいんだ。こんなにも。なのに伝わらない」

いつかの雨の日にエヴァンさんが話してくれた、その言葉でこの声に含まれているこの謎の成分は"愛おしい"なのだと思いました。でも同時に、"切ない"気持ちの成分も含まれていたのです。

 

 

ボクはビックリしました。エヴァンさんの気持ちにはよく、他の気持ちの成分というノイズが含まれていることはありますが、こんなにもしっかりそのノイズまで聞き取れることはそうなかったのです。ボクのエヴァンさんへ対する"愛おしい"はノイズのない"愛おしい"だけなのに、エヴァンさんの"愛おしい"の気持ちはなんだか変です、"切ない"も含まれているなんて!

 

 

 

だけどそれから少しして、エヴァンさんが帰って来た途端ボクを抱き上げて、クライヴさんと”お付き合い”することになったと教えてたとき、その声に含まれる"愛おしい"には、"切ない"のノイズはなくなっていました。

 

 

だからもしかしたら、ボクの"愛おしい"の気持ちの方が、エヴァンさんの"愛おしい"の気持ちよりもはやくに完成していたのかもしれません。"愛おしい"の気持ちはきっと、成熟するまではずっと"切ない"の気持ちを含むのです。

 

 

 

ボクはエヴァンさんが幸せだったら、ボクも幸せなんです。

そしてクライヴさんが一緒に住むことになって、それからもう一年くらいになるでしょうか。

クライヴさんも、エヴァンさんには負けますが大好きです。クライヴさんもボクをたくさん愛してくれます。いつも幸せそうな2人の間で、捨て犬として寂しく終わりそうだったボクの命も、"幸せ"っていうものをたくさん知っていったのです。

 

 

 

でも、何だか今日はおかしいのです。

エヴァンさんはだいたいクライヴさんより先に帰ってきます。エヴァンさんは帰ってきてすぐボクにご飯を与えると、そのまま部屋に閉じこもってしまいました。でもボクは扉の開け方を知っています。大好きなエヴァンさんが泣いてる気がして、部屋へ入って行きました。

「…リック」

エヴァンさんがベッドでうずくまっています。ボクもベッドに上がってその頬を舐めると、塩っ辛いにおいがしました。

 

 

「…リック…。クライヴと喧嘩した…。オレが悪いのはわかってる。でも、この気持ちをどうしようも出来ないんだよ…!」

ボクはエヴァンさんの腕に抱かれました。寒い冬の日でした。木枯らしが窓を叩いています。ボクはエヴァンさんを温めるのに必死でした。

 

 

「クライヴは悪くない。でも、…どうしてもっと、慎重に行動出来ないんだ。だから、違う男に不意を見せるなってあれほど言ったのに…!」

エヴァンさんはぽつりぽつりとボクに話してくれました。同じお仕事をしている他の男の人が、どうやらクライヴさんに何かしたらしく。昨日の夜、クライヴさんが帰って来なかったのはそのせいだったようなのです。

 

 

昨日はエヴァンさんが「クライヴはパーティに行ってる」と教えてくれたので、そこで何かあったに違いありません。

ボクはエヴァンさんが泣くのを見たくなくて頬を舐めました。エヴァンさんがそれを見て、少しだけ笑ってくれます。

 

 

「励ましてくれてるのか?」

そうです、ボクはあなたが大好きだから、いつでも笑っていて欲しいんです。なんだったら、クライヴさんに噛み付くことだってできる。

 

 

「ありがとな」

でもそんなことはしません。したらエヴァンさんが悲しむこともわかっているからです。

 

 

「クライヴに会わせる顔がないよ。…リック、代わりに謝って来てくれるか?」

エヴァンさん、クライヴさんの車の音がしますよ!ボクは耳をそば立ててエヴァンさんに知らせます。

 

 

「…クライヴ、帰ってきた?」

エヴァンさんは顔をごしごしと袖で拭きました。ボクのよだれと、まだ溢れてくる涙を。

 

 

「どうしようリック。…なんて謝ろう、酷いことを言ったんだ」

そのままでいいと思います。エヴァンさんの"愛おしい"の気持ちが強いのは、泣いてるその声の中にあるって、しっかりとボクは感じています。それはきっと、クライヴさんも同じです。

玄関を開ける音がしました。ボクはエヴァンさんより先にクライヴさんを迎える義務があります。

 

 

「リック…!」

ボクは玄関に向けて走りました。クライヴさんのにおいです。玄関で靴を脱いでいるクライヴさんを見つけました。

 

 

「…リック、ただいま。…迎えに来てくれたのか?」

クライヴさんがボクの頭を撫でます。違う、そんなために来たんじゃありません。

ボクはクライヴさんの袖を噛んで引っ張りました。

 

 

「おい、リック…!」

クライヴさんも、エヴァンさんに会うにはまだ、心の準備が出来ていないという声です。でも、エヴァンさんがあなたを待ってるんです!

ボクがクライヴさんを連れてエヴァンさんの部屋の前に続く廊下を曲がったところに、気まずそうな顔をしたエヴァンさんが立っていました。ボクはクライヴさんの袖を離してあげます。

 

 

「あ、エヴァン…ただいま」

「…おかえりなさい。…少しだけ、オレに素直になる時間を下さい、クライヴ」

エヴァンさんが、クライヴさんを見つめました。クライヴさんは、エヴァンさんの意図が掴めずにオロオロしています。

 

 

「あの、…今回の件、本当にすまなかった…俺が迂闊だったせいで…」

「クライヴ、少しだけ黙ってて下さい。…オレの話から、聞いてくれませんか?」

「…あ、ああ」

エヴァンさんの言葉に、クライヴさんが戸惑いながらも頷きました。

 

 

「オレ、あんたが他の男に触られたって思うだけでもう、本当に気が狂いそうなくらい悔しいし苛立つし、なんていうか色んな負の感情が沸き立ってくるんです。本当に小さい男だと思う。オレがいたら守れたかもしれないって思うと、いくらオレの知らない人たちのパーティだったとはいえ、行けば良かったと本当に思うんです。でも、それをあんたは望んでないってわかってるから、雁字搦めになって。……だから、今度一人で迂闊なこと、しないで下さい。今回は最悪の事態には至らなくても、あんたは女からも男からもそういう視線で見られるかもしれないってこと、もっと自覚して下さい。じゃなきゃ、オレはあんたを束縛してしまう…」

 

 

「エヴァン…」

いまエヴァンさんは、一生懸命言葉を選んで、素直に話をしています。"苦しい"の成分が多いけど、その中身は本当に伝えたい気持ちだから、ボクは吠えたりせずにエヴァンさんの言葉をクライヴさんの隣におとなしく座って待っています。

 

 

「…すいません、言いたいことは言いました。…だからもう大丈夫です。またパーティに呼ばれてもいいように、新しいタキシードを買わないと、」

「エヴァン、ごめん」

大人ぶったエヴァンさんを、クライヴさんが抱きしめました。そしてエヴァンさんも、その背中に回した手に力を込めます。

 

 

「今回のはお前はなにも悪くない。俺が悪かったんだ。どれだけ責めてくれても構わない。…だから、アイツのにおいを、お前のにおいで消して欲しい」

クライヴさんの言葉は正直です。エヴァンさんはクライヴさんの唇に噛み付くようにチュをしました。

 

 

「…オレの愛情表現は感情に比例します。今日はあんたに優しくしてやれそうにない」

エヴァンさんはクライヴさんを睨みつけるようにして言いました。2人はそして、エヴァンさんの部屋へ向かいます。これはいつも、寝る前のスキンシップの流れです。

ボクは2人が幸せならそれでいいんです。一人で暖炉の前に寝るのは少し広すぎるけれど。

 

 

「リック、おいで」

エヴァンさんがこちらを振り返ります。

「いまはちょっと2人にして欲しいけど、夜は一緒に寝ような。3人で、お前が真ん中だ」

エヴァンさんの頬に、もう涙はありません。ボクはエヴァンさんに大きくしっぽを振って頷くと、2人の背中を見送りました。

 

 

 

 

 

 

 

作:yukino

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