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6月、教会にて

 

 

 

 

「ピアーズ、準備できたか?」

「…これ、変じゃない?」

「…ああ。すごく似合ってる。俺と結婚してほしいくらいに」

 

クレイグが冗談めかしてそう言うのにも、ピアーズは赤面で返事をした。

 

「そういうこと、簡単に言うなって」

「本当のことだし」

「だからって…」

「さ、行こう。受付時間終わっちまう」

 

クレイグはピアーズの手を引いた。

玄関まで行くと、いつもの習慣のせいかクレイグはピアーズにキスをねだって目を瞑る。

ピアーズはいつまで経ってもこの儀式に慣れない。

遠慮がちにその唇に唇で触れると、少し強引にクレイグに後頭部を支えられ、貪られる。

顔を離すとその余韻で少し艶が滲む顔から、一転して満足げな表情に変わった恋人がいた。

 

「…時間、やばいんだろ」

「ああ、少し飛ばすぜ」

 

ピアーズは玄関の鍵を閉めたら、軽快な足取りでマンションのエレベーターホールへ向かうクレイグを追った。

 

 

 

 

 

「…永遠の愛を、誓いますか」

 

式が執り行われたのは、地元でも大きく有名な教会だった。

参列者の席に座りながら、眩しい恋人たちを眺めている。6月だというのに湿気もなく、からりと晴れてそのくせ風が少しあるからとても気持ちの良い天気だ。

 

「はい、誓います」

「誓います」

 

ピアーズは隣に座るクレイグの横顔を盗み見た。

幸せそうに笑うシェリルの顔を、クレイグは柔らかな瞳で見つめている。

 

―――クレイグがドイツの大学の学位を取得した後、一度自国に戻ってきた。

滞在できる日数は短いと聞いていたが、それでもクレイグは出来る限りピアーズと一緒にいようと時間を作っては会いに来てくれていた。またドイツに戻って次は博士課程を修了しなくてはならない。

二週間に満たない間で、二人はそれまで会えなかった分を埋めるように互いを愛し、慈しみあった。クレイグの全身から溢れる愛情を、身体で、心で受け止めることができる幸せに何度も涙しそうになった。

そうする毎日のうちで、一度急にクレイグに呼ばれてシェリルに会いに行ったことがあった。

 

女の勘は鋭くて、玄関のチャイムを鳴らし、シェリルが迎え出てくれたときには、そうだとわかっているという瞳で微笑みを向けてくれた。そして目を細め、一言幸せそうね、と。

 

「上がって。今はパパもママもいないけど」

「いいよ。昨日会食で会った。なんで昨日来なかったんだ?」

「昨日は院の教授の誕生パーティだったのよ。今年で60歳。とても尊敬している教授だから、お父様に無理を言って欠席したの」

 

シェリルの家は広い。クレイグもシェリルも慣れた風に歩いていく。ピアーズは少し気まずい思いで二人の後をついていった。

 

「それより、向こうの生活はどうだったの?全然連絡くれなかったじゃない」

「とても充実していたよ。そっちは?教師になるんだって?」

「ええ。黙ってお父様の後を継ぐのは、私らしくないかなって」

 

シェリルの部屋の前に着くと、シェリルはドアを開けて先に二人を部屋に入れた。

そのときに感じた女性らしい柔らかな香りと曲線の美しい首筋に目眩がするようだ。

 

「何か話があるんでしょう?そこに座って少し待っていてね」

 

シェリルは二人を部屋に入れると、それだけ言い残してすぐに飲み物を取りに行ったようだ。

 

「大丈夫か、いきなり悪いな」

「いや、大丈夫」

 

クレイグの心配そうな表情を見ないようにして、ピアーズは笑った。クレイグの体温が、こうして隣に座っているだけで移ってしまいそうだ。

それから少し沈黙が宿り、部屋のドアが開いた。

 

「お二人は紅茶でよかった?」

「ああ。こいつコーヒー飲めないんだ、その方がありがたい」

「あら、そうなのね」

 

そういってテーブルを挟み、向かい側にシェリルが腰掛ける。

 

「さて。久しぶりだし、ゆっくりしたいところだけど。早く本題に入りたいって顔ね」

「悪い、あまり時間がなくて。大事なところだけ話すよ」

 

シェリルの余裕のある笑みを見て、クレイグが切り出した。

 

それからクレイグは言葉少なに、許嫁としての契りを破ったこと、最後まで本心を伝えなかったこと、そのせいで傷つけたことなどを詫びた。中には少し聞かぬふりをしたくなるようなーたとえば二人が身体を重ねたことがあったことーこともあった。それでもピアーズは、黙って隣でクレイグの言葉を聞いていた。

 

クレイグの言葉が途切れる。

 

「…あなたたちが間違いでないと思う方向に進んで。そしてこの先も、ずっと幸せでいて。約束よ」

 

シェリルはそう言い終えるか否かというときに、頰に一筋涙をこぼした。―――

 

 

 

 

挙式の後は立食形式のパーティが催された。

シェリルは素肌の美しく映えるドレスに身を包みながら、テーブルの間を優雅に泳いでいく。

クレイグの視線がそのシェリルを追っていた。きっと一言、かけてやりたいのだろう。

 

「少し外すよ」

「いや、いいよ」

「うんん。オレがいたら言いづらいこともあるだろ」

「ない」

「向こうはあると思うよ」

 

ピアーズはグラスを片手に、クレイグのそばを離れた。そして、少し離れた位置にあったベンチに腰掛けた。誰も知り合いはいない。ただ楽しそうな雰囲気に身を任せた。

この先もクレイグといるつもりだから、こんなふうに式を挙げることは自分には一生ないだろう。

当然の幸せを享受できないことを、不幸だと思ったことはない。

普通に生きていたら味わえなかった幸せも、切なさも、十分に味わったから。自分が自分でいていいのだと、世界で一番愛するひとに認めて、愛してもらっているから。それが実感できているうちは、自分はきっと世界で一番幸せだと胸を張って言えるだろう。

だから、何も思わない。理屈では。

 

遠くでシェリルがクレイグに駆け寄るのが見えた。

今日のクレイグは一張羅で、品のあるスーツを高い背に飾っている。

だからだろうか。

二人が幸せな恋人同士に見えたのは。

 

(見なかったことにしよう)

 

ピアーズはそっと二人から目を離した。

目の端で、二人が楽しそうに話をしているのが見えた気がした。けれど視線は戻さない。

戻したら正気でいられないことくらいわかっている。

クレイグといれば、緊張も、寂しさも、嫉妬も涙も幾度となくピアーズの元へ訪れる。

クレイグにはそんなもの訪れないようだから、きっといつもピアーズの周りをうろうろしては心が弱ったとき隙間から入り込んで巣食うのだろう。

最初のうちは負の感情に落ちては変わらず友人を続けてくれているコンラッドに慰めてもらっていたけれど、今じゃそんなことをしなくても一人で立っていられるようになった。

クレイグの強靭な精神力に感服するとともに、自分ばかり惨めな気持ちを味わっているような気になって落ち込むこともようやくなくなった。

コンラッドにも「大人になったな」と言ってもらった。だから、もう頼ることはないと思っていたのに。

 

「ピアーズ!」

 

立ち上がり、トイレに駆け込もうとしたピアーズの腕を引き止める力強い手。

 

「どこ行くんだよ」

 

そのまま強く引かれ、そのクレイグの大きな胸に抱きとめられた。

 

「おい、…クレイグ…!」

「お前さっき、またコンラッドに頼ろうって考えただろ」

「…」

「俺だって、相手があいつだろうが妬く」

 

そういってピアーズの肩に口元を埋めてきた。

 

「一回本気であいつに怒ったことがあるよ。お前は知らないだろうけどさ」

「…ちょ、クレイグ…、」

「大丈夫、ここにいる奴らはみんな他人のことなんか眼中にないよ。幸せな顔をしてる」

「そういうことじゃなくて…!」

「俺たちだって、幸せになろう。こうしてたら、身体が離れてるよりも幸せだ」

 

少し掠れたそのクレイグの声が言葉よりもずっとクレイグの幸福感を伝えてくれて、少しだけ泣きそうになった。

 

「…うん」

「帰ったら、少し有給を取って、ハネムーン代わりにフランスにでも行こう」

「…ああ」

「他に行きたいとこ、ある?」

「いいよ、どこでも連れてってよ」

 

ピアーズはより一層クレイグの胸元に顔を埋める。

外では教会の鐘が皆の幸せを祈るように高く鳴り響いていた。

 

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