エリスがシベリア支部へと出張に行くことが決まったのは、クリスマスの5日前。明日から1週間の予定だ。
レイはその知らせを聞いて、思わず膝から崩れ落ちた。
「イヤですエリス…」
エリスが困ったようにレイを見ている。そうは言われても本部からの命令だ、覆るわけがない。
眉尻を下げたままエリスはレイの脇に腕を入れてその身体を立たせた。
「…俺も、その、イヤなんだが…」
困ったときのエリスの口元。少し、くちびるの先が尖る。
「なんでこんなタイミングで…」
レイの頭をよぎるのは、絶望以外の何ものでもなかった。
予約したホテル。予約した花束。予約したケーキ。そして、エリスがずっと欲しがっていたあのプレゼントも。
全てエリスのために用意したのに。本部はなんの恨みがあってこんな仕打ちをするのか。
「……」
思わずレイの口からポツリと零れ落ちる。せっかく心待ちにしていた、はじめてのクリスマス。
エリスの顔を見ることが出来ない。
「…レイ、すまない…」
エリスの声が上から降ってくる。その身体をエリスが戸惑いながらも抱きしめてくれる。
レイはエリスの腕を避けた。別にエリスが悪いんじゃない。それはわかっている。
本部も悪意があってこうしたわけではないだろう。まさかレイの悲しみを意図して出張を組んだとは言うまい。
でも、今は本部への恨み言を一緒に言ってくれるくらいしてもらわなければ気が済まなかった。
「もうイヤです…」
「…どういうことだ」
口が勝手に言葉を紡いで行く。こんなこと言うつもりではないのに。
「エリスなんてキライです」
エリスの腕から逃れ、寝室まで走るとベッドに潜り込んだ。やはり、戸惑ったような足音がレイを追いかけて来る。
ドアの開いた気配がするが、エリスはなにもいわなかった。エリスの前でワガママを言うことなんてあまりないから、エリスは困ってしまったかもしれない。
そうは思っても、この気持ちはなかなか収まりを見せなかった。
「…準備しなくていいんですか」
ドアのところに立ってこちらを見ているのであろうエリスに突っぱねるように言うと、エリスはああ…と呻くように答えた。
嘘の気持ちを言葉にするのはとても苦しい。いまも本当は明日からの不在のために、抱きしめてほしいのに素直に求められない。
「…明日からでしょう。明日も朝早いんですから、準備して早く寝た方がいいんじゃないですか」
自分の声がびっくりするくらいに拗ねた子どものそれだ。しかし、エリスには違う印象を与えたようで、わかった、と呆れたような声で言われてしまった。
ドアの閉まる音がして、廊下からもれていた光が消えていく。レイはその声の響きに震え、冷えきった心を抱えたまま泣いた。
「じゃあ、行ってくるよ」
今朝もおきたらもうエリスはいなくて、今日最初に顔を見たのはチームメイトらと真剣な顔で話をしているところだった。
今日はエリスが出張に行く日だからか、レイがロッカールームに顔を出したときにはチームメイトはほとんどもう訓練場にいたようだった。
エリスはレイが小走りで訓練場におりて来て、チームメイトが全員揃ったところで今回の出張について簡単な説明をした。
何も知らないチームメイトはのんきにお土産をねだっている。エリスは時々レイを見たが、それ以上のことはしなかった。
「じゃあ、レイ。チームを頼んだ」
キャプテンとしてのエリスがレイに声をかけた。その手が肩を叩こうとしたのに、意気地なしに留まってしまったのが見える。レイはそれを見てくちびるを噛んだ。
「キャプテン、早く行かねえと本部が待ってるぜ」
少し躊躇ったあと、マルコに促されてその身を翻し本部の方へと歩いて行く。このあと、本部の研究チームと合流するのだと言っていた。
エリスが振り向き、皆に手を振る。チームメイトは笑いながら、お気をつけて!と楽しそうに手を振るから、エリスもそれにつられて少し微笑む。しかし、レイはそんな仮面をかぶれそうになかった。
ちらりとエリスがこちらを見て、悲しい視線が一瞬ぶつかる。その瞬間、エリスが泣きそうな顔になったからレイは思わず言葉が先に出た。
「エリス…!」
「いってらっしゃい!」
しかし、フィンの威勢のいい声に掻き消され、レイの声は届かなかったようだ。エリスは前を向き、そのまま歩みを止めない。エリスの背中が少しずつ遠ざかる。
レイは我慢出来ずに走り出した。
「エリス!!」
スローモーションのような時が流れる。レイの声に気が付いたエリスが振り向き、その目をしっかりと見つめた。
「レイ…!」
エリスの口が動く。レイはエリスに飛び付くとその身体をきつく抱きしめた。
「はやく、帰ってきてください」
「…ああ」
背中をポンと叩かれ、レイは涙が出そうになった。ここまま抱きしめていてほしい。
「おいレイ、いつからそんなにキャプテンっ子になったんだ」
副キャプテンのケリーが調子良く笑う。二人のことを何も知らないチームメイトはそう言うけれど、いまは二人にしかわからないことがあるのだ。
レイが離れたくなくてぎゅっとエリスの肩を掴むと、後ろからマルコに頭を叩かれてしまった。
「ほら、キャプテン困ってんだろ。離してやれよ、たった一週間だぜ。すぐに帰ってくるさ」
たしかに、ケリーの言う通りたった一週間だ。でも、このタイミングでの一週間は少し意味合いが違う。
「な?」
ケリーが俯いたレイの顔を覗き込む。
「ケリー…すまない」
エリスの声に顔を上げると、ケリーの肩にエリスが手を置いているところだった。
ケリーが首を傾げる。
「レイ、愛してるよ。すぐに帰って来るからな」
エリスは真っ直ぐな瞳でレイを見た。レイの胸が、あたたかいもので満たされて行く。
エリスがその身を翻したあとも、レイの胸はあたたかいままだった。
「エリス」
「…レイ」
「メリークリスマス」
電話の向こうにいるエリスに、そっと囁く。見えないけれど、エリスが照れくさそうにはにかんだのがわかった。
「そっちはどうです」
「…やっぱり、クリスマスムードだよ」
ここよりも寒い国で、エリスはどうやってその身を温めているのだろうか。レイはそう思うと心が痛んだ。自分はまだ、仲間がいる。
でも、エリスは知らない人たちの中で一人だ。頼れる仲間もおらず、一人でこの寒さに凍えている。
「…レイ」
エリスの声が幾分か柔らかかった。
「…なんです」
レイは少し嬉しくなって声を丸くした。そばにいなくても、電話越しでも、その愛情をたしかに感じることができている。
「愛してるよ」
珍しくエリスからの愛の言葉だ。レイは心にじわりとその言葉が広がるのを感じた。
「はやく、帰ってきてくださいね」
エリスが電話口でゆっくり頷いた。