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君が大人になる前に 006

 

 

 

―――「今日は何?」

「んー?今日は軽くにホットサンドだ」

「ああ、いいね。昼間食べ過ぎて胃が重かったんだ」

 

あの偶然の再会から、サイラスとウィルは訓練後の時間の殆どをどちらかの寮室で過ごした。部隊のメンバーは一人一室与えられるし、一人暮らしだからと寮暮らしに切り替えたサイラスも

 

司令部用の部屋の取り分に余裕があるからと一人部屋を確保することができた。

自炊をしたが毎日交代で作ることにしていた。手のかかるものは寮室の設備上出来なかったが、それでも互いにその腕が上がっていくのも目に見えた。サイラスは出来たてのホットサン

 

ドをテーブルに置いた。テーブルにはあらゆる資料やノート、シャーペンたちが散らかっている。

 

「いただきまーす」

「今日はなんか面白い資料あったか?」

「んん、そういや前言ってたフィリップ博士の研究。あれにこの間話したウイルスのことが載ってたよ。なんでも人間の細胞とうまく結びつくと驚異的な回復力を示すんだってさ」

 

サイラスはホットサンドを咥えながらカバンの中をがさかざと漁っている。季節はセシリーと別れた冬からいつの間にか初春に移り、寒いと言われるトロイア支部でも朝晩以外は暖房器具を使わなくなっていた。

 

「へえー。でもそれがわかったってことはその裏に驚異的な回復力を持った人間がいるってことだろ?」

「研究ってのはそんなもんさ。いつだって犠牲を伴う」

「…頭では理解しているつもりでも、やっぱり腑に落ちないときはあるよ」

「俺だってもう何匹もネズミを殺してる」

 

ウィルはなにも答えずそのままサイラスの手からその資料をつまみ上げた。

そして研究レポートのコピーであるそれに目を通す。

 

「……これが公に知れて医療や薬学に使おうという輩が出てもおかしくはないな」

「ああ。慣らしながら投与すれば超人的な能力を手に入れられるんだ。医療チームでもこれに着目しようという動きが出始めてる。俺は配属されないだろうけど、反対だ。このウイルス

 

の存在こそ消滅させるべきだと思うよ」

 

ウィルは頷きながら聞いていた。それも最もだと思えるがまだ裏でウイルスが出回っている以上、テロの根絶は難しく、ウイルスを無効化するものを作り出さなくてはならないのも事実

 

だ。後手に回るがウイルスを所持する組織をしらみつぶしにするのにはまだしばらく時間がかかるだろう。

現在は多くのウイルスが動物に投与されている。人に打たれないだけ良心的だと思うべきなのか、それとも人を襲わせるのに人間のウイルス化クリーチャーは弱すぎるという裏付けからきているのだと断定するのが正しいのか。まだ判断しかねる状況ではあるが、近年報告されるケースによると少しずつ人間に投与されるパターンも出てきているのは事実だ。

そのような非人道的なテロ活動が一般化すれば、ウイルスの拡散によりゾンビと化した人型クリーチャーがはびこることになるだろう。

 

「それにしても勉強熱心だねえウィル君は」

「別に他にすることもないし、いまはこの生活でいいと思ってる」

「まあここなら、邪心も生まれないしな」

「男だけのが気楽でいいよ」

 

そういってウィルはホットサンドを咥えた。中に挟んだチーズが溶ける。

 

「毎日お前の勉強に付き合わされる俺の身にもなれ」

「ウイルスやクリーチャーについてはお前の専門だろ?こういうのは専門家に聞くもんだ」

 

ウィルの勉強に対する情熱は訓練へのそれと比例している。そしてそれは、あのときから日に日に増しているのだ。

サイラスの言った暫くは訓練に勤しめというのを彼は体現したいるの

 

だった。

 

 

 

 

 

 

時にはオズウェルに呼ばれて、サイラスと三人食事に行くこともあった。初夏の夕方、まだ気温の涼しい夜が最初だった。

そこでレイフが自分を引き抜くために散々陸軍所長に掛け合ったこと、毎日オズウェルとそのために話し合いを重ねたことを聞かされた。それもあってオズウェルは、ウィルのことを大

 

層気に入っているようだった。

 

「君がT-SATに来てくれて本当に嬉しいよ。レイフ君が君の引き抜きに成功したと私の部屋に飛び込んで来た時は抱き合って喜んださ」

 

オズウェルは赤ワインを嗜みながらウィルに笑いかける。

 

「…恐縮です」

 

レイフが自分を迎え入れるのに尽力してくれたのは知っていたが予想以上だった。しかもそれにオズウェルも関わっていたなんて。

 

「彼はいま、後進の育成や新しいプロジェクトのために忙しくしてはいるがね、どうか君のことを気にかけていないわけじゃないとわかってやってほしい。いつもエリオット君か

 

ら聞く君の報告を楽しみにしていたし、目に見えて成績が上がり出したときは私にわざわざ報告にも来たんだ。彼にとって私は、自身と同じように君の保護者のようなものなんだろう」

 

そういって目尻にシワを寄せるオズウェルは本当にウィルのことを案じてくれているのだろう。そしてそれはレイフも同じなのだと、この人の言葉の節々から伝わってくる。

 

「オレ、正直な話をすると少し前まであの人の目が恐ろしかったんです。オレはまだまだガキだから、わからないこともたくさんある。だから不用意な発言で隊長を怒らせてしまったこ

 

とも多々あると思います」

 

ウィルの独白を、オズウェルもサイラスもなにも言わずに聞いていた。

 

「なのにあの人は、全部見透かしたような、ある種の優しい目でオレを見るんです。ほら、前オズウェルさんに相談しに行ったことがあったでしょう?土砂崩れで訓練が中止になったと

 

きに歯向かったって。あのときだけです、あの人がオレを睨んだのは。それ以外はずっとそうだ。あの見透かすような視線が苦手だった。でも、こうしてあなたと会うたびに隊長の話を

 

聞いて、オレはあの人に守られてるんだって気づいたんです。陸軍のときから、今までも、きっとこれからも。だからオレは、あの人を裏切らない。絶対に」

「こいつね、こんなことを毎晩俺に言うんです。こんなに熱心に聞いたことはなかったですがね」

 

肉を食べながらもサイラスはオズウェルに言った。茶化した様子でそう告げることができるのも、サイラスとオズウェルはいつも司令部内で顔を合わせているからだ。オズウェルにとってウィルは孫、サイラスは息子のような存在だった。

 

「サイラス」

「はい?」

「ウィル君を頼むよ」

「今更ですよ」

 

サイラスは照れたのか投げ捨てるように言った。

 

 

 

 

 

「エリオットさん?こんなところで何してるんです?」

 

寮の中庭で、目を閉じて立ち尽くしているエリオットを見つけ、ウィルは後ろからそっと声をかけた。青葉の繁る裏庭では、蝉たちが盛んに鳴いている。その中に黙って立っているエリ

 

オットの姿は絵のように見えた。

 

「あー、ウィルか。んん、まあちょっと昔の仲間にな、挨拶しておこうかと思ってさ」

 

そこは花壇で、いくつも小さな木が植わっていた。その大きさはまちまちで、葉をつけ枝を伸ばしているものもあれば、大きく少しずつ幹が太くなってきてるものもある。

 

「… これ…」

「ああ。殉職した仲間の化身だ。ちょうど一年前の今日が命日でね」

「…そうだったんですか…」

「こいつも元はスナイパーでさ。気のいいやつで、俺の後輩だった。…俺より先に逝くなって、あれほど言ったのにな…」

 

この人の後釜として自分が選ばれたのだろう。

エリオットはいまも、この人の死を悔やんでいるのだ。ウィルは黙ってエリオットの言葉を待った。

 

「…俺のすぐ目の前で、こいつは俺を庇って死んだんだ。サイズのでけえtype_Sに頭ごと食われたよ、跡形もなく。だから、骨も拾ってやれなかった」

 

それを聞くだけで胸が痛かった。戦の途中、みなでクリーチャーから逃げていたところだったのだろう。エリオットは大切な後輩が食われたその瞬間を見ただけで、その一瞬だけで別れ

 

を理解しなくてはならなかったのだ。想像して、ウィルの目から涙が溢れた。

 

「…おい、ウィル?…ったく、お前が泣くなよ」

 

そういって乱暴に肩を組まれる。それでもウィルは、涙を堪えるのに必死だった。

 

「なぁ、ウィル」

「…すい、ません…」

 

涙で途切れる声に、エリオットがため息をつきながらウィルの頭を撫でた。

 

「ウィル、勘違いするな?確かに、ロイが死んだときは辛かった。でもな、振り返ったって仕方ないだろ?俺はお前という後輩と出会えたし、仲間にも恵まれてるんだ。いまは、幸せだ

 

よ」

「…エリオットさん…」

「ほら、暑いから中入ろう。せっかくのオフに悪かったな、引き止めて。どっか行く予定じゃなかったのか?」

「ちょっと、ドライブをと思って…でも、大丈夫です」

 

鼻をすすりながら答えるウィルの背中をバシバシとエリオットが叩く。

 

「ドライブ?俺もそんじゃ、連れてってもらおうかな」

「ええ、お安い御用です」

 

歩を進めていた方向に背を翻して、二人は駐車場へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

―――「オレは、この一年でたくさんのことを経験しました。最初に話した年上の女性への失恋でこれまで作り上げてきた自分を一度壊して、サイラスに手伝ってもらいながら生き方を探して、オズウェルさんやエリオットさんに道を正してもらいながらここまで来ました。勿論隊長がオレを拾ってくれたことが全ての始まりだったから、オレはあなたに一生ついていきたいと思っています」

「…だったら、…このままレグルスにいたらいいじゃないか」

 

自然とそんな言葉が漏れてレイフ自身驚いた。

 

「…お気持ちは嬉しいです。でも、オレはもっと上へいきたいんです。いつかあなたの右腕になれるように。いまはあなたの庇護下に置かれているようで、甘えているんです。だから、

 

オレを突き放して下さい。お願いします」

 

そう言うウィルの眼差しは強い。

 

「…わかったよ…」

 

レイフは返す言葉もなく、ワインのお代わりを飲み干した。

 

 

 

 

 

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