top of page

君が大人になる前に 004

 

 

 

翌朝は思っていたよりすっきりと起きられた。眩しい朝の光がウィルを照らす。

冬の朝陽は弱く、温度も低い。ウィルは布団から出るとそのまま歯を磨いて顔を洗った。もう頭の中で今日一日のプランを考えている。

午前中に買い物を済ませてそれから支部でトレーニングをし、帰宅したら読みかけだった本を消化して一日を終えよう。なるべく何もしていない時間はなくしたかった。

 

ウィルの部屋は簡素だ。この部屋へは訓練のない日にたまに帰って寝るだけで、実際は殆ど寮で生活をしている。

親が泊まりに来ることもあるがそれも殆どなくなってしまった。それでも寮だけで事足りると思っていた以前とは違い、いまはこうしてあの上司の姿を見なくて済む場所があってよかったと思う。

 

ウィルはバッグに練習着と財布を詰め込み、ニットにコートを羽織ると玄関を出た。外は寒く、日差しの恩恵は期待できそうにない。

階段を降りると愛車のバイクに霜がおりているのを見つけた。トロイア支部の冬は長く厳しい。

バイクの中に入れておいたタオルで霜を拭き取るとそのまままたがり、アクセルを踏んだ。

 

 

買い物を終え、そのままロッカールームに荷物を置いて着替えを済ませた。そしてトレーニングルームへの廊下を、外を眺めながらぼんやりと歩く。

この季節になってもまだ、葉が落ちない木もあるらしい。

 

「おい」

 

ウィルの耳に響いて来たのはどこか懐かしい声だった。

 

「お前、もしかしてウィルか!?」

「サイラス…!?」

 

振り向くとそこには、高校時代の旧友の姿。白衣を着た、あの頃と変わらぬ聡明そうな顔立ちは、ウィルの感情を高ぶらせるのには十分すぎた。

 

「なんでお前こんなところにいる?陸軍に行ったんじゃないのか?」

「お前こそ!T-SATにいたなんて!」

 

二人とも相手に尋ねるばかりで答えにならない。どちらともなくそれがおかしくて笑い出した。

 

「通りで連絡がつかないわけだよ」

「お前これから時間あるか?」

「これからトレーニングに行こうかと思って」

「俺も付き合うよ、積もる話がありそうだ」

 

サイラスは眉を上げて笑った。ウィルの様子から何かを読み取ったのだろう。元から勘の鋭い奴だったが、それは歳を取るにつれてさらに敏感になっているらしい。

ウィルに並んでサイラスが歩き出す。

 

「あっちに行こうとしてたんじゃないのか?なんならトレーニングルームDに行くから用を終えてからでもいいのに」

「いや、ちょっと一服してこようかと思ったんだがお前がいるならそれで十分休憩になる」

「ふうん。いまは司令部に所属してんの?」

「その中でも医療チームだ。お前は部隊だな?」

「ああ」

 

サイラスの声は低く耳障りがいい。ざらざらしているけれどどこか艶がある。

高校時代も女性からの人気が高かったのはその優しく整った顔立ちと、文武両道だったところにあるのだろう。

 

「20歳の新人があのレグレスに入ったってそういやうわさで聞いてたよ。しかもベックフォード隊長の引き抜きで。名前までは聞いてなかったけど、それお前だろ?すげえな」

「ああ、そうだろうな。でも、隊長にはもうそろそろ見放されそうだ」

 

ウィルがため息をつくと、それをみてサイラスも気持ちのトーンをあわせてくれた。その場の空気が変わる。

 

「大丈夫だ、我がストゥウィッチ高校の英雄はそんなことで落ちぶれたりしないさ」

 

ウィルもサイラスも、高校時代は体育祭でダブルヒーローと言われるほどに活躍したことのある選手だった。

サイラスはバスケット部、ウィルは水泳部でそれぞれキャプテンを務めており、競技にはその身体能力を買われて引っ張りだこだったのだ。

そして必ず二人のいるクラスは優勝すると囁かれており、サイラスもウィルも、それを自負していた。誇りに思っていたのだ。

 

「それがここにきて、T-SATってのは超人の住むところだと思ったよ」

「ああ、ここにいるやつはだいたいちょっとおかしい奴が多い。やたらに身体能力が高かったり、とびきりの頭脳明晰だったりってな。俺も大学は飛び級してここに来たけど、ここの研究ってのは凄いよ。世界が知ったら驚くどころか自らの研究に失望した何人かの研究者は首吊っちまいそうだ」

 

地下にあるトレーニングルームは底冷えしている。それに身震いしたサイラスがエアコンをつけた。急に寒いところで筋肉を動かすと怪我をする可能性があるからだろう。

ウィルがストレッチを始めると、隣でサイラスも白衣を脱いだ。そのまま何事もなく並んでストレッチを始める。暗い色のニットとタイトなブラックのスキニー姿であることは意にも解さないらしい。

 

「それで?何があってさっきはあんな泣きそうな顔してたんだ?」

「…お前には隠せないな」

「ああ。洗いざらい話してみろ。いまに笑える話にしてやるさ」

 

ウィルはストレッチをしながらこの数ヶ月であったことを話した。陸軍から引き抜かれたこと、訓練についていけなくて落ち込んだこと、エリオットのアシストで大人の女性と少しの間付き合ったこと、昨日レイフと衝突したこと、そして失恋をしたこと。

 

「…それで、いまは何も考えたくなくてこうしてる」

「なるほど。激動期だったな」

「ああ。色んなことがありすぎて生き急いでる気分になるよ」

 

ウィルはランニングマシーンに飛び乗った。隣でサイラスもそれに便乗する。

 

「でも、これからは少し、訓練に集中すればいいんじゃないか?お前がその女性に惹かれたのも、元はと言えば訓練で思った成果が出なかったからだ。お前の話を聞いてると、訓練で成

 

果をあげれば全てが解決するような気がするな」

 

ウィルは黙り込んだ。サイラスのいうことも一理ある。だがそれだけで、本当にこの先虚しさに押しつぶされることなくやっていけるだろうか?

 

「ま、お前の心がけ次第だけどさ。辛くなったら何でも聞いてくれる奴がいるって分かれば、いままでよりはストレス溜めずに過ごせるんじゃないか。…そうなら嬉しいんだけど?」

 

少しおどけた風にサイラスは語尾を上げた。

その言葉には何故か、妙な信憑性があって、ウィルは頷かざるを得なかった。

 

「…そうかも、しれないな」

「俺もいまは彼女もいないし、お前にとことん付き合ってやれる」

「珍しいな。どうしたんだ?」

「仕事に精を出したくてね。次に付き合う人は奥さんにするくらいのつもりで付き合おうと思ってるんだ。少しくらい心が寒いからって誰かを焚き火代わりに使うのはやめた」

「むしろそう思ってたのが驚きだよ」

 

サイラスと話をしていると気が楽になる。それはやはり、高校時代を共にした信頼関係もあるのだろう。

 

「今日はトレーニングが終わったら飯でも食いに行こう。懐かしさを通り越してお前が愛しいよ」

「いくらお前でも男はごめんだ」

 

ウィルはエアコンを切った。もう十分に身体は温まっている。そして心も。昨日まであんなに張り裂けそうだったのに、自分でも単純だと思う。それでもサイラスの存在はそれほどに大

 

きく、またウィルの心を動かせる存在でもあるのだ。

 

「俺は掘ってやることならできるけど?」

「お前な…。…もしかして経験済みか?」

「俺は来るもの拒まずなんでね。付き合った人はみんな愛してきたつもりだけど、最近になってやっぱりまだ俺は本当の愛に出会えてないのかなって気がしてきたよ」

「奇遇だな。オレもお前と話していて、彼女のことを本当に愛していたのか久々の恋愛に酔っていたのかわからなくなってたとこだよ」

 

いまなら思う。

確かに彼女が違う男と寄り添って歩いていたのをみたのはショックだった。だが、それは自分が認められていないと感じたことが悔しかっただけかもしれない。

 

「本当の愛、か。自己陶酔のない愛ってのはどんなもんなのかねえ?」

「さぁね。そんなこともわからないようなんじゃ、愛を語るのはまだ早いってことだろ。オレはしばらくいいよ。お前のいう通り、訓練に集中するつもり」

 

ウィルは首を振った。本当にもうしばらく恋愛は懲り懲りだ。前向きになれた頃に自然に出会えればいい。

 

「そうだな、俺もそうだ。いまは仕事が楽しい。色んな発見があるし、いま手元でやってる作業がのちに世界を救うと思うとたまらなく興奮するんだ」

「オレにもし何かあったら助けてくれよ、その"世界を救う"研究で」

「勿論」

 

頷くサイラスを笑って流す。もう心の闇は取り払われた。

きっとまだ疼くだろうが、それは致命的な傷ではなくなった。

 

「友人ってのは偉大だな…」

「なんか言ったか?」

「いや、なにも」

「ふうん?」

 

ウィルの呟きはマシンの音に消えた。

 

 

 

 

作:yukino

 

 

 

 

bottom of page