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夜にひかれて 003 

-Darius side-

 

 

 

呼び出したはいいものの、何をしたらいいのかわからない。なんと言えばいいかも正直考えたけどいい言葉が思いつかなかった。

ただ、ブレントのあんな言葉を聞いたらいても立ってもいられなくなったんだ。

 

 

シャワールームから引き上げると、脱衣所にはダニエルとアレックスしかいなかった。二人で何やら話し込んでいて、俺とマルコは端っこで身体を拭く。

着替え終わるとさっそくブレントにメールを打った。

“どこへ行けばいい?”

返事はすぐに帰ってきた。

“寮のドア前で待ってます”

いよいよだ。鼓動が痛いくらいに早まっている。こんなに緊張していたら訓練後の疲れた身体に障るんじゃないか。マルコに別れを告げ、脱衣所を出た。

 

緊張が止まらない。この先数時間こうなのかと思うと気が遠くなる。

とりあえず、気持ちを伝えなければならない。

 

寮の前に行くとモデルかと思うくらい綺麗なポージングで車に凭れ、景色を眺めているブレントがいた。そういう姿にいちいちドキドキするんだ。心臓に悪い。まあもうずっとドキドキしててよくわからないけれど。

「ブレント…」

「…キャプテン、待ってました。行きましょう」

ブレントは俺を見るなり笑顔になる。でも瞳は笑えていなかった。俺の表情から答えを悟ったのかもしれない。

 

「どこに行きますか?」

 

助手席を開けて俺に問う。俺はそのスマートな振る舞いに胸を絞られるような思いでなんとか車に乗り込んだ。

 

「…すまない、決めてなかった」

「そう言うと思って店、おさえておきました」

 

ブレントがエンジンをかけ、車体が震える。このエンジン音も、内側からはもう聞くことがなくなるかもしれない。

 

「…ありがとう」

「いえ」

 

ブレントの横顔は硬い。真っ直ぐに前を見据えるその瞳には暗い闇が落ちていた。

 

 

 

そのまま無言で30分ほど車に揺られると、ひっそりとした林の中に山小屋のようなレストランがあった。ここも、建物は古いが店頭に飾られている花やライトには気を遣ってある。

 

「ここ、美味しいビーフシチューが食べられるんです。夏にビーフシチューなんてと思うかもしれませんが、あなたともう来ることもないかもしれないので…」

 

思わず隣を見るとブレントは真っ直ぐに前を見ていた。きっともう、ブレントだって答えはわかっている。

それでも、きちんと俺の言葉で聞くことを望んでいるのだろう。

 

「さ、行きましょう」

 

ブレントが車を降りる。同時に車を降りた。

店内は薄暗い。ブレントはマスターと顔見知りのようで、簡単な挨拶で注文を済ませてしまった。

席に着いてブレントと向かい合う。

アインシュタインによく似たマスターがやってきて、テーブルに食前酒を置いた。

 

「ブレント、久しぶりだね」

「ご無沙汰してましたね、すみません」

 

ブレントは少年のような顔で笑った。マスターは見た感じブレントの父親くらいの年だろう。

 

「この人かな、大切な人っていうのは」

「…ええ、そうです。素敵な人でしょう」

「そうだね、随分男前な人だ」

 

ブレントは嫌な顔ひとつせず答えていく。大切な人だなんて、そう呼ばれていいわけがない。

「ゆっくりしていってください」

 

俺に優しく微笑むと、マスターは行ってしまった。ブレントはその後ろ姿を目で追う。その表情がまた憂鬱そうで悲しくなった。

こうしていられるのも、もう今日のこの時間しかないのだ。

 

「マスターが腕をふるってくれるはずです。飯は美味しく食べましょう、ね?オレ、ここのビーフシチュー大好きで部隊に入った頃よく一人で食べに来ていたんです」

 

そう話すブレントの下を向いた瞼を見ていると、もしかしたら寂しかったのかもしれないと思う。別の軍から急に引き抜かれて入った場所だ、自分の居場所を作るのは孤独な作業だったに違いない。3年前、ブレントが入隊すると聞いたときのことを思い出す。エースを引き抜いてきたから楽しみにしていろと所長に言われたときは、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。ブレントは仲間とすぐに打ち解けたように見えたけれど、実際はとても心細かったのかもしれない。

 

マスターとブレントの雰囲気から言い知れぬ何かが伝わってきたのはきっと、そんな辛い心の内を支えたのがここのマスターだったからだろう。

 

「マスターは、オレがあなたの部隊へ来たのと同じくらいの時期にここに店を開いたんです。元々店をやっていたけど、色々あって引っ越してきたって言っていました。だから、なんか親近感湧いて」

 

ブレントがポツリポツリと話す言葉に耳を傾ける。

 

「マスターには、きっとわかっているでしょうね。キャプテンが、オレがいつも話していた例の人だってこと。それと、…この恋の結末も」

 

そう言ってかすかに微笑む。

俺なりに、考えて考え抜いた答えが揺らぐ。このまま、ブレントと離れてしまうのか。

もしかしたら、ブレントは俺と仕事をしてくれなくなってしまうかもしれない。ブレントの才能を見抜いた司令部からチームを持たせたいと話がきているのは知っている。それを断り続けて俺がキャプテンを務めるいまのチームに残る理由が俺の存在だなんて思い上がるつもりはない。でも、もしその理由のひとつになっていたとしたら、あの告白を断ってしまってブレントが俺の元を離れる理由をわざわざ作るのかと、そう思ってしまう。

 

「お待たせしました」

 

マスターがたくさんの皿を運んできた。一つ一つ丁寧にテーブルに並べて行く。

 

「マスター、こんなに?」

「だって二人ともどうせよく食べるんだろう?その体格で食べないなんて言ったら嘘だ」

 

店主は愛嬌のある顔で笑う。鼻の下のヒゲがよく似合っている。

 

「いいんだブレント、食べなさい。これは俺からの命令だ」

 

店主がふざけてみせる。ブレントは氷が溶けるように笑顔になった。

 

「…マスター、いつもありがとう」

 

ブレントは笑うと子犬のようだ。普段は張り詰めた糸のようなのに、笑うと急に人懐っこくなる。

 

「お連れ様もたくさん食べてください」

 

俺にまで優しく笑ってくれるマスター。二人の関係を見ていると、心の中にもやもやしたものが湧いて来るのに、マスターの人柄がよくて悪く思えないのがまたたちが悪い。

マスターは流れるような動きで赤ワインを注ぐ。まだ口もつけていない食前酒はそのままに、新しいグラスを用意してくれた。

 

「いただきます」

 

ブレントが嬉しそうに手を合わせる。あのマスターのことだ、きっと元気付けようとしてブレントの大好物ばかり用意してくれたのだろう。

そう思えば俺はブレントの好物すら知らない。

 

「美味しい」

 

ブレントが幸せそうに呟く。ブレントは背を向けているが、俺からはカウンター越しにブレントを見て微笑むマスターが見えた。

 

「キャプテン、食べてみてください。すごくうまいんですよ」

「…ああ」

 

子どもみたいにはしゃぐブレントに心をくすぐられた。泣きたくなるくらいに好きなのに、どうしてこんな結論を出したのだろう。チーム内恋愛なんて絶対ダメだ。俺は不器用だからすぐに態度に出てしまうに違いない。チームを管理する立場なのにチーム内で恋愛するなんて許されることではないだろう。

 

この数日間で苦しみながら考えようやく結論が出たというのに、ブレントの顔を見ているとその決意が揺らいでいく。俺たちの立場なんてどうでもいいじゃないかと囁くもう一人の俺がいる。

 

「キャプテン?」

 

ブレントが俺の顔を覗き込む。

やっぱり俺の答えは間違っていない。キャプテンとして、俺には使命がある。そして、ブレントにもまだ未来がある。

 

「どれも美味しいな」

「でしょう?…今日、どうしても一緒に来たくて」

 

ブレントが柔らかく微笑む。その目はもう流れに身を委ねている。

 

「そういえば今日ちょっとうちのチーム調子悪かったですね。負けてしまってすみません」

「仕方ないさ。暑かったし」

 

今日の実地訓練では誰の目から見てもブレントの動きが冴えなかった。怪我でもしたのかと思ったくらいだ。でも、俺からはわざわざそんなこと指摘しない。ブレントはわかっているはずだからだ。

皿の上がだいぶ片付いてきた。タイミングを見てマスターが皿を下げていく。そしてその流れのままデザートを運んできてくれた。

 

「お連れ様、コーヒーと紅茶どうします?」

「…コーヒーで」

「アイスでよろしいですか?」

「ええ」

 

ブレントには訊かない。もうマスターもわかっているのだろう。マスターはブレントに向ける表情を崩さず俺にも微笑んでくれる。俺はうまく笑えているだろうか。

 

「ブレント」

 

デザートの皿も下がり、テーブルが空いた頃。意を決してブレントを呼ぶ。

 

「…はい」

 

ブレントの表情も硬い。お互いにわかりきっているこの恋の結末を、確認する作業みたいだ。

 

「考えたんだが、…俺はおまえと付き合うことはできない」

 

ブレントが、おどおどと言葉を紡ぐ俺を見守るように見つめている。

 

「俺も、本当はずっと好きだった」

 

それまでは何ともなかったのに、急に涙が出そうになった。鼻の奥が痛い。

 

「…それが、キャプテンの出した答えですか?」

 

ブレントに優しく問われて余計にうろたえた。間違ったことを言ったかと頭の中で反芻する。

 

「あなたが出した答えなら、オレはそれを受け止めます」

 

ああ、なぜコイツはこんなにも聞き分けがいいんだろう。もう俺のことなんてどうでもよかったのかと、邪推してしまう。

 

「オレは、あなたがオレを好きだと言ってくれたその思い出だけで十分ですから」

 

堪えきれなかった。目の前のブレントが霞んで行く。俺が本当に手に入れたい未来はどれだ。こんなにも思っているのに、それがお互い同じだとわかっているのに、なぜ離れなければならないのだろう。

 

「お互いの立場もある、それにチームのことだってまだ心配だ。俺はキャプテンとしてやるべきことがあると思っている」

 

ブレントの目も赤い。そんなのを見たら余計に悲しくなってしまう。

 

「…知ってます。キャプテンが何を考えてそういう結論を出したのかくらい、わかりますとも」

 

ブレントの頬を涙が伝う。それも気にしない素振りでブレントが俺の目を見つめる。

 

「でも、だからこそ一緒にいたいんです。一緒にチームを作っていきたいんです。あなたが何か悩んだとき、一番に相談できる相手でありたい」

 

もう、限界だった。結局、俺が何日もかかって出した答えはこんなにも簡単に、ブレントに覆されてしまう。

 

「キャプテン、出ましょうか」

 

ブレントが立ち上がる。マスターに耳打ちして、ブレントはテーブルまで戻ってくると俺の腕を引っ張って外に出た。

夜は深まり、気温もだいぶ下がっていた。ブレントが前を歩く。

 

「もう一度、言わせてください」

 

ブレントが振り返らずに言う。

 

「オレにはキャプテン、あなたが必要なんです。あなたにオレは必要ありませんか?」

 

そんな聞き方はズルイと思った。俺がなんて答えるか、わかっているはずなのに。

ブレントが急に振り返って俺の頬に手を当てた。

 

「将来のこととか、余計なことを考えているなら、そんなもの捨ててくださいね」

 

やっぱりブレントにはかなわない。

少しずつブレントの顔が近付いてくる。目を閉じると、控えめに唇が触れた。

 

「キャプテン、一緒に、いてくれますよね?」

 

首を横に振れなかった。受け入れてしまったのだ、もうこれ以上のことはいいだろう。

かろうじて浅く頷くと、ブレントが微笑んだ。

 

「あなたには、オレが必要だと思いますよ、キャプテン」

 

得意げに笑う。その通りだ。

ブレントが俺の頭を優しく引き寄せた。今度は確かめるように、唇を押し当てる。

 

「これから、よろしくお願いしますね」

 

深く頷くと、お互いちょっと笑った。でも、目には涙が溜まっている。泣くのを我慢していたのはお互い様のようだ。

 

「愛してます、キャプテン」

「ん、俺もだ」

 

俺がそう言うと、ブレントは満足げに頷いてキスをしてきた。

 

 

 

 

 

 

作:chai

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