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フレイム The Last Episode

2003.11.3~2014.11.1

 

 

 

 

"ピアーズへ

 

こちらには、いよいよ本格的な秋が訪れています。

葉も色づき、夕焼けが赤くなりました。

卒業設計は進んでいますか。

おそらくお前のことだから、心配ないとは思うけど。

俺は秋の木枯らしに吹かれて、少しひと肌恋しくなることがあります。

 

前の手紙、読んだよ。

お前の気持ちを聞けたことは、素直にうれしかった。

勘のいいお前なら、この次に続く内容はわかると思う。

 

率直に言う。

違う人を好きになれ。

俺のことはいなかったものと思っていい。

 

親友として、お前が幸せになってくれることを

一番に願っています。

お前のことが大切だから、身を引かせてください。

 

だけど一つだけ。

わがままかもしれないけど、

文通だけは続けてくれませんか。

 

よければ、返事待っています。

 

 

 

クレイグ"

 

 

 

 

 

 

(郵便の消印はあの郵便局か…。)

 

ドイツの秋は寒い。ピアーズはマフラーを巻いて手をすり合わせた。

最後に来た手紙の消印だけを頼りにたどり着いたこの土地。

公園は地域の人たちに愛され、にぎわっている。

治安もよさそうで、のどかな田園都市といった雰囲気がある。噴水が高く空に水を打ち上げた。

開きたくないけれど、もう一度開いてこの文字を確かめる。

ピアーズはあたりを見回り、噴水のふちに腰掛けた。

 

"親友として"クレイグの言う、「"違う人を好きになれ"」、この通りにすることが"お前が幸せになってくれること"だと、この手紙は教えてくれているらしい。

前の手紙で、確かに好きだと言ってくれたのはクレイグだったのに。ピアーズは奥歯を噛みしめた。

 

 

 

―――"ピアーズへ

 

体調を崩してはいませんか。

暑かったり寒かったり、そちらではまだ気温のばらつきがあることでしょう。

これから冬になるにつれて風邪も流行るし、きちんと予防して最後の大学生活を楽しんでください。

 

この間の星空の写真はどうでしたか。

お前と一緒に俺の部屋から見たときの星空と、どっちが綺麗だったかな。

あれは夏の終わり頃大学の友達と一緒にキャンプに行ったときに撮ったんだ。

川釣りが趣味のヤツがいて、そいつに連れられて行った。

そっちから見えるのと、ドイツから見るのと、見える星座が同じだってことには少し感動しました。

それで少し思い出したことがある。

 

一緒に俺の部屋から空を見たとき、

お前は、将来俺の家の設計をしてくれるって言ったよな。

あのとき、俺の未来を勝手に決められたことがつらかった。

俺はある女性と恋に落ちて、結婚し、子どもを授かる。

そんな普通の幸せを、俺が願っていると思ったのかってね。

でも、それが普通だよ。だからこれは八つ当たりだ。

 

俺は、お前のことがずっと好きだった。

別にお前の気持ちがどうだって構わないんだ。

ただ、どうしても、伝えたかった。

この思いを捨てるために。

 

このことは本当に気にしないで。

俺の、くだらないエゴなんだ。

お前のことを大切に思うから、俺はこの思いを捨てて、

いや、心の奥底にしまって生きていきます。

だからどうか、幸せになってください。

 

 

クレイグ"―――

 

 

この手紙を読んだとき、自然と涙がこぼれた。

嬉しくて泣いたのか、悲しくて泣いたのかはわからない。きっと、どっちもあったのだろう。

涙で滲むのがもったいなくて、慌てて涙をぬぐって、それからすぐに自分のイスに座って新しい便箋を手に取った。

何から書いていいのかわからなかったけれど、

三回深呼吸をしても全然落ち着いてくれない心臓を、なんとか宥めてからボールペンを手にした。

 

 

 

"クレイグ

 

この間くれた写真、どれもすごくよかった。

ドイツの街並みってこんなにきれいなんだ、って思ったよ。

猫の写真も最高に良かった。裏路地の写真好きだから、もっと撮ってよ。

 

この間の手紙で、"俺の未来を勝手に決められたことがつらかった"って書いてたよな。

オレにはそんなつもりなかったよ。

お前の家で一緒に窓から見える空眺めて、

寝転びながら話したときに、お前には幸せな家庭を持ってほしいと思ったんだ。

お前が家庭環境に色々悩まされてきたのを知ってたから、

本当に幸せな家庭ってものを見つけてほしかった。

 

それなのに、ずるいよ。

お前こそオレの気持ちを勝手に決めつけてる。

わかってたんじゃないか。

オレはお前のことが好きだったよ。

ずっと、お前が転校してきたときからだと思う。

何度も何度も、こんなんじゃいけないって、素晴らしい未来が待ち受けているお前の

足かせになっちゃいけないって思ってた。

だからずっと言わないつもりで、このまま言わないで死のうと思ってたのに。

 

オレはいま、この自分の思いに誇りを持ってる。

お前を好きになってよかった。

だから、オレのことを好きでいてください。

 

 

ピアーズ"

 

 

 

この手紙に込めた思いが通じなかったのか。

だからこんな返事を寄越したのか。それが冒頭の手紙だった。

ピアーズは唇を噛みながら、手元の手紙をくしゃりと握った。

クレイグが夏休みに卒論の調整をしに一度帰国したことがあったとコンラッドに聞いたときも、いまと似た気持ちになった。

何もピアーズには言わず、コンラッドにだけ会って帰ったのだという。

後からそのことを手紙に書いても、時間がなかったと濁されるだけだった。

 

ピアーズは気が付いた。

クレイグは頭も切れるし博学で冷静で優しい男だったが、自分の恋に対する本能や欲求はすべて間違ったものだと考えているのだと。

いや、本能や欲求に従うのが怖いのだ。特に恋愛においては。

だからこうして、誰よりも遠回りをする道を選ぶ。

だけど、いまは答えが出ているのだ。

だからこうして、それが間違いではないとピアーズは伝えに来た。

どうしてもあのわからずやに、伝えたい。ピアーズは手紙を閉じて深呼吸をした。

ここにいたって、会える根拠はない。

けれどこうして、きっとこの近くにいるのであろうと思えるだけで、こんなにも幸せな気持ちになれるのだ。

間違いなく、これは幸せな恋だ。

クレイグのいう幸せな恋が、女性を愛し家庭を築くことだというのであればそれは間違いだと言おう。

 

ピアーズはかじかむ手をすり合わせながら公園を見渡した。

木々は色づき、濃く澄んだ空の色は紅葉と美しい対比を生み出している。

噴水の音や、噴水を中心として作られた水路を流れる水の音が、子どもの遊び声を引き立てた。

大きな楓の葉が並木から外れたところにあるこの噴水の周りにも落ちていて、公園全体が秋色に染まっている。

空を見上げるとその美しさに思わずため息が出た。クレイグの写真で見た空とはどこか違う。それはクレイグの心と言うフィルターがないからだろう。

そのまま何となしに視線を下ろしてふと向こうからやってくる人々に目をやると、その視界に入った姿に心臓がどくりと高く飛び跳ねた。

 

 

友人らしき男性と並んで歩いてくるその姿は、いつも思い焦がれていたクレイグに違いなかった。

知らない土地でも、見紛うはずがない。

ピアーズは無意識のうちに立ち上がった。

並んで歩いてくるその二人との距離が近づいたそのとき、ピアーズは走り出していた。

 

「クレイグ!」

 

何もかもがスローモーションに見えた。

ピアーズの声に気が付いたクレイグがこちらを振り返る。

その瞬間、驚いた表情をさらすと同時に、手を広げ飛びつくピアーズの体を受け止めた。

 

「ピアーズ、どうして…!」

「このわからずやに、会いに来たんだ…!」

「そうか…」

 

ひしと強く抱き合う。

互いの肩に顔をうずめ、強く愛を刻んだ。

 

「オレが、好きでいてくれって言ったんだから、好きでいろよ…!」

「ああ…」

「オレ、本当にお前が好きなんだ。約束しろ、もうあんなこと言わないって!」

「うん、約束だ、絶対…」

 

クレイグの言葉は、涙に飲まれてほとんど聞こえなかった。

二人の頬を涙が伝う。

ピアーズもクレイグも、もう伝わらない気持ちなどないと思った。

誰が何と言おうと、この男を離すまいという気持ちがその腕の強さにあらわれている。

 

「あんなことばかり言ってごめん、お前のこと悲しませるってわかってたんだ…」

「うん、もうオレのことはいいから」

「でもあとひとつ、俺にわがまま言わせて」

「…なに」

「もうすこし、このままでいさせてくれ」

「…うん」

 

少し背の高いクレイグが、ピアーズをかき抱くように再度その体を強く抱きしめた。

もうしばらく、この愛しい存在から離れられそうにない。

 

カスパルはそっとポケットからトイカメラを取り出して、

後ろの噴水と一緒にその愛し合う一対の男をフレイムに収めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「当直明日だっけ?」

「ああ、悪いな」

「うんん。その代り明後日休みだろ?出かけよう、今年はどこの紅葉を見に行こうか」

「それならカスパルに聞いたらいい。いろんな女と出かけてるからさ」

「わかった、聞いておくよ」

 

ピアーズはスーツに身を包んだクレイグを玄関先まで見送りに来た。

ドイツに、あれからもう十一度目の秋が来る。

 

「ああ、頼んだ」

「じゃあ、いってらっしゃい」

 

玄関先でのキスは、これまで一度も欠かしたことが無い。

たとえ喧嘩をしたときでも。

手を振り、ドアを出ていく後ろ姿を見送る。

ピアーズはふと、玄関の棚に置いてある写真たてを見た。

あのとき、カスパルが撮ってくれた一枚だ。この頃から、クレイグに対する気持ちは少しも変わっていない。

 

(カスパルに、紅葉の名所でも聞いておくか)

 

ピアーズは鼻歌を歌いながら、設計時にクレイグと何度も話し合いを重ねた自慢のリビングルームへと戻っていった。

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

作:yukino

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