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フレイム 013 -Piers side-

2003.1.29~(1999.8.25)

 

 

 

 

 

大学が長い春休みに入り、ピアーズは一層建築学の勉強に力を入れることにした。

春休みのうちに色んな建築を見、歴史を知り、自分らしい意匠設計にたどり着くための材料を得たい。

クレイグが自分を認めてくれている、信じてくれている、そう思うと苦手な構造分野の勉強も苦にはならなかった。

 

(やっぱり思い切って海外にでも行こうか、やっぱり自国の建築だけじゃ知れる歴史も少ない)

 

ピアーズは自室で旅行雑誌を捲りながら迷っていた。行きたい国は数あるが費用も時間限られている。ツアー雑誌の価格を参考にしながら、ピアーズはひたすら思案した。だがこんな時間も楽しい。本当はクレイグと行きたいけれど、興味のない建築見学に付き合わせるのは気が引けた。それとも、芸術を見る目があるクレイグなら楽しめるだろうか?

どのみち自分には勇気がない、だからこの期待も胸にしまっておこう。

最近、カメラに興味がある。クレイグの影響も否めないだろう。あのレンズを覗き込む優しい眼差しが好きだ。自分もレンズを通したら、あんな風に世界を優しく見つめられるのだろうか。

 

デスクの引き出しを開けると、もらった二人の写真が出てきた。

 

 

―――大学二年の秋、クレイグが写真を撮りに日帰りで遠出するというのでそれに付き合ったことがあった。

高校の頃も、体育祭でカメラを持たされたり、事あるごとにカメラマン役を頼まれたりしていたけれど、被写体が何であろうとその優しい眼差しは変わらない。父親が子どもを見つめるのや、恋人を見る男の目でもない。被写体の美しさから醜さまで全てを知ってもなお愛せる、そういう優しさだ。なんでも見透かしているけれど、嫌いにだけは絶対ならない。それがクレイグだった。けれどもピアーズは見透かされるのが怖くて、ほとんどクレイグの写真に写ったことはなかった。たった一度だけ、しかもその写真は今も手元にある。

 

「お前は被写体が人物のと景色なのと、どっちのが撮って楽しいの?」

 

秋も深まり、山々が赤や黄色に色づいたのを撮りたいと言ってきたから、そのリクエスト通りに随分と山道を登ってきた。

ピアーズは隣を流れる小川を尻目に、楽しそうな横顔を晒すクレイグに尋ねる。

 

「被写体か…考えたことなかったな。人も景色も表情があるし。カメラは何を撮っても、時間に干渉されずにその場面を残すには最高のツールだと思うから、被写体が何かはあまり関係ないな、俺にとっては」

 

そういって満足げにカメラを構える。川辺の少し大きめの石に乗って、垂れ下がる紅葉の瞬間を切り取った。クレイグがピアーズの方を振り向く。

 

「ピアーズ、こっち向け」

「やだよ、撮るんだろ」

 

そういってピアーズは顔を背ける。カメラを手にした時のクレイグの無邪気さは少女にも負けない。

 

「いいだろそれくらい。お前とのツーショット、一枚もないんだぜ?」

 

そう言うが早いか、クレイグが石を降りた気配がして振り向いた途端、その力強い腕に肩を抱かれシャッターが切られる音がした。クレイグが何をしたのかピアーズがわかったのは、その瞬間クレイグの横顔を見てしまったから。それが手元に残るなんて思わぬ迂闊な表情で。

 

「あ、バカ!撮るなって言ったじゃん!」

「もう遅いね」

「お前写るのは苦手だって」

「そ。だからこれはサービス」

 

写真を撮るのは好きだけれど被写体になるのは好きではないとクレイグはいつも言っていたのに。ピアーズは機嫌よく先を歩いていくクレイグにため息をつきたくなった。自分がどんな顔をして写っているか、気がかりで仕方ない。現像した写真を先に目にするであろうクレイグに、自分の表情はどう映るだろうか。ピアーズは黙々とクレイグのあとをついて歩いた。

 

 

 

この日から一週間後、大学のカフェテリアであのとき撮った写真を見せてもらったとき、ピアーズはひどく後悔した。

秋の紅葉は目に鮮やかで、見せてくれた写真はどれも美しく、クレイグがどんな表情でモノを見ているかが少しわかった気がするいいものばかりだった。

けれど、テーブルに並べられたどの写真よりも、真っ先に目が行ったのは例のツーショット写真。

 

「なあこれ…」

「ん?よく撮れてるだろ?」

 

そういってクレイグがニコニコと笑う。

 

「ダメだ、やっぱ没収」

「ほしいならやるけど、ネガはこっちにあるんでね。現像して思い出として部屋に飾っておくよ」

 

そういってピアーズをからかうように笑う。ピアーズはすぐさま写真を手に取り見つめた。

 

(だってこんなに、クレイグが好きだって顔に書いてある)

(こんなのが一生こいつの手元にも残るなんて)

(…道が離れて忘れようと願っても、忘れられなくなるに決まってる)

 

クレイグの最大の過失は、こんな写真をピアーズの手元に残してしまったことだ。

きっとこの先何歳になってもこの写真は捨てられない。隣で笑うクレイグの表情は、自分が世界で一番愛するそのものだから。

だからこのままずっと、手元に残して、そして忘れられなくなる。引き出しにしまっては大事に見つめなおすだろう。そしてそのたびにこの写真の中の瞬間同様、この男が好きだと強く思うのだろう。

 

目の前で写真を満足げに眺めるクレイグを、このとき以上に恨めしく思ったことはない。―――

 

 

 

そのときのことを鮮明に思い出して、つい写真に見入ってしまった。

 

しっかり通った鼻筋、青い瞳、まっすぐ見つめる視線、少し上がった口角、柔らかそうな金の髪、そのどれもが、ピアーズの愛するものだ。

そしてその隣にいる自分は、慌てていて、クレイグの横顔を見てしまったばかりにこんな間抜けにも恋をする青年の横顔そのもの。

写真を見つめていたピアーズを現実世界に呼び戻したのは、デスクの端に置いてあった携帯の着信だった。

 

呼び出し者の名前は「Craig Barraclough」。

自分の欲望が液晶画面に映っているのではないかとピアーズは疑って二度画面を見直した。けれど、名前の表示は変わらない。そっと通話ボタンを押して画面を耳に押し当てた。

 

「もしもし」

"あ、ピアーズか?いま大丈夫?"

 

珍しく強引さはない。落ち着いたトーンでクレイグが尋ねる。

 

「うん、大丈夫だよ」

"ならよかった。あー、えっと来週のさ、火曜日ってお前空いてる?"

「来週の火曜日?あ、待ってまずいかも」

 

卓上カレンダーを目で追う。もう来週の後半は3月にかかる。

来週の月曜日から始まるツアーのどれかにしようと思っているところだから、ちょうどここを発っている。

 

「ごめん、オレ来週の月曜日から旅行に行こうと思っててさ」

"ああそう、いや、ならいいんだ"

 

いつもは用意周到にこちらの予定がないのを確かめてから誘ってくるくせに。

ピアーズはなんとなくもどかしくなって、勇気を振り絞った。

 

「あのさ、お前ももし予定がなければなんだけど」

"ん?"

「…月曜日からヨーロッパに行く予定を立ててて。一週間くらいなんだけど。よかったら一緒に行かない?」

 

少し落ちた沈黙が怖かった。断られても急だったから仕方ないと自分に言い聞かせる。

 

"あー、ごめん。俺来週予定があるんだ、悪いな。気持ちだけ頂いておくよ。楽しんで"

「こっちこそ急にごめん」

"いや、先週誘われてたら絶対行ってた。お前とのお泊りデートだろ?"

「からかうなよ」

 

クレイグは電話口で笑っている。ピアーズは少しむくれながら、それでもこうしてからかわれるのがなんだか懐かしい。そういえば、春休みに入ってもうすぐ二週間が経つが、忙しいからとあまり連絡が取れていなかったのだ。だからこんなにも、電話一本で胸が締まるのだ、きっとそうだ。

 

"今何してんの?"

「その旅行のプランを練ってる」

"そっか。それなら邪魔しちゃ悪いかな"

「ん?」

"いや、最近お前と話してなかったからさ。5分くらい電話に付き合ってもらおうと思ってたんだけど"

「別にいいよ。でもなんか変な感じだな」

 

いつもしているはずの電話なのに、耳がくすぐったく感じる。

クレイグの低くまるやかで艶のある声は、体の芯まで届く気がする。

 

"まあ、いつもなら会って話すからな。わざわざ電話なんて、カップルかよって話だ"

「ホントだよ。お前は最近何してんの?また講演会とか?」

"そうだな、父親の助手で海外に飛んだりしてた。あとは大学の教授にも付き合って色んなところに行ってるよ"

「そっか、教授と親父さん、仲良いんだっけ?」

"そう。おかげで使いっぱしりにされまくってる"

 

クレイグがわざと呆れた風にため息をついた。それでもフットワークは軽いし、そういうことを嫌だと思っていないから引き受けているのだろう。

以前クレイグの家に行ったとき、ずいぶん母親に優しく接するようになっていたことから推察するに、父親との距離も同じように埋まっているのだろう。

 

「そっか、なんか充実してるな」

"まあね。こういうのは嫌じゃないし、勉強になる。いろんな国に行ったから、また写真送るよ。見てほしい"

「ありがとう、楽しみにしてる」

 

こんなやりとりもかけがえなくて、時間が有限であるという理をすら恨みたくなる自分がいることに気づく。

 

「そっか、海外か。だから連絡つかなかったんだな」

"心配したの?"

「別にそういうんじゃない」

 

春休み前にクレイグから突然、「これからしばらく連絡がつかなくなる」と言われたことを思い出して出た言葉だった。こういうことを言うとクレイグはたちまちからかってくる。

 

"ピアーズ君は俺がいないと寂しいか?"

「だから別にそういうんじゃないって言ってんだろ」

"…そうか。まあでも、それなら安心したわ"

 

少しの沈黙が気になったけれど、その真意を聞くことはできなかった。

 

"まあ、また落ち着いたら連絡するよ。あ、そうだ、お前の住所って前から変わってないよな?"

「住所?うん、変わってないけど」

"ならいい。じゃあ、また。旅行楽しんで来い"

「ありがとう、じゃあ」

 

ぷつりと切れた通話に、寂しさを感じるのはきっと自分だけだ。

毎日充実した日々を送っているらしいクレイグにはこの寂しさとは無縁だろう。

 

ピアーズはツアー雑誌の付箋をつけたページを開いて、来週の月曜日から始まる旅行に期待を膨らませた。

 

 

 

 

 

 

 

作:yukino

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