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フレイム 010 -Piers side-

(2003.1.27)~2003.1.29

 

 

 

 

 

 

 

―――「お前今週も土日来るだろ?」

そう声をかけられたのは、ジムの隣あったランニングマシーン上を走っていた時だった。

いつもピアーズは耳にイヤホンをつけて走るから、トントンと肩を叩かれイヤホンを外した途端のことだ。

 

「ああ、別に他の予定もないし」

「金曜の夜、サイモンとダーツ行くけどお前も行くよな」

 

当然のように聞いてくるクレイグが少し憎い。

けれど自分は土日の予定を当然のように受け取っているしそれに合わせて日頃のスケジュールを組んでいる。学科の友人との遊びや予定は、すべて平日の夕方を使っているのだ。

 

「え、聞いてない」

「でも?」

 

だから金曜日はダメだった。学科の友人と個展に行こうと言っていたのだ。だが友人が急な家庭の事情で行けなくなったと、ジムに来る前電話が来た。その話中、新しいコンペに出すためのデザイン案でも練ろうと考えていたのに。

 

「…行く」

 

こう答えてしまう自分も憎い。どう頑張ってもクレイグの誘いを断ることは、別の予定がない限り出来ないのだろう。

 

「じゃあそのまま金曜日から俺んち泊まってけよ」

「え」

「たまにはいいだろ。大学入ってから泊まったことなかったろ?先週部屋を変えたんだ。前の部屋の一つ隣のメゾネットタイプになった。先週シェリルが来るからって断ってたし、初めてだろ。前より広くなったから余裕で泊まれるし」

「まぁ…うん」

 

お前がいいなら…なんて言葉を濁しながらも、ピアーズは内心気が気ではなかった。

高校の頃は、――それもあの一件があるまでだが――何度か家に泊まったこともあったし、両親と会ったこともある。

けれどあの一件以来、クレイグが泊りに来いなんて行ったことは今まで一度もなかったのだ。これは何かあるのかもしれない、とピアーズは腹をくくらねばならなかった。

 

「じゃ、決まりな」

 

そういってクレイグがマシンのスピードを上げた。クレイグの荒い息遣いが聞こえる。ピアーズがイヤホンをするのは、その息遣いを聞きたくないからだ。あの夜を彷彿させる。

それが嫌でピアーズは、もう一度イヤホンを耳にぎゅっと押し込んだのだった。―――

 

 

 

 

「じゃあな、お疲れ」

 

サイモンが手を挙げる。酔い気味のサイモンを一人で帰らすのは少し不安だったが、これくらいまで意識が回復しているのであれば大丈夫だろう。

 

「お疲れさん。また月曜日な」

「あとはお二人でごゆっくり」

「そりゃどうも」

 

サイモンの言葉にクレイグは機嫌よく手を挙げて応えた。だがその横顔からは、しっかり酔いも醒めているのがわかる。

 

「おやすみ!気をつけて帰れよ」

 

ピアーズもサイモンに投げかけて手を振った。それにサイモンは後ろ手に手を振りながら上機嫌で歩いて行った。

 

「じゃ、帰るか。まだなんか家で飲む?」

「いや、オレはいいや」

「だよな。じゃあさっさと帰ろう」

 

そういって歩き出したクレイグの隣に並ぶ。いつもこうして歩いているのに、何故だか今日は妙にそわそわする。

教授に襲われたあの日からしばらくの間はクレイグとも距離を取ってしまっていたが、いまはもう、半月経ってようやく、隣にきちんと並んで歩けるようになった。

 

「うまくなったな」

「お前ほどじゃない」

「そんなことねえよ」

 

結局今日のダーツの結果は1位がクレイグ、2位がピアーズ、3位がサイモンだった。サイモンは本気を出せばクレイグと勝率を分けるが、今日はいつになく乗り気だったクレイグに散々彼女とのことを茶化され惨敗を喫したのだ。

 

「また今度投げに行こう」

「ああ、もっと教えて。上手くなりたい」

「そうだな。お前にははやく上手くなってもらいたいし」

 

クレイグが笑う。空からはちらほらと雪が降り出した。

 

「寒いわけだ」

「でももう冬も終わりだな、二月だし」

「そうだな…」

 

クレイグは小さく呟いて空を見上げた。吐き出す息が白い。

 

「ずっとこのまま降ってりゃいいのに」

「そうもいかないだろ。あんまり降ってもらっても困る」

「俺は春よりも、冬の方が好きなんだよ」

 

その言葉は少しだけ、ピアーズの心を傷つけた。ピアーズはクレイグと出会った、春という季節が好きだったのだ。

 

「春になったら暖かくなるし、桜も咲く。明るくていい季節だとオレは思うよ」

「…」

 

クレイグが黙り込んだ。きっと何か考えているのだろう。突然思案し始めることがクレイグにはよくある。そういうときはピアーズはいつも、黙ったまま答えが出るのを待っているのだった。

 

「でも、ダメだ。今年は好きになれそうにない」

「どういうこと?」

「…いや、なんでもない」

「そう」

 

クレイグが言いたくなさそうにしていたから、ピアーズは言及しなかった。こういうときのクレイグはいくら聞いても教えてくれない。

 

「うちに帰ったら、まずシャワー浴びて、それから前お前が観たいって言ってた映画、地上波でやってたから録ったんだ。それでも見ないか」

「本当?ありがと!本当観たかった」

「そりゃよかった」

 

ピアーズの横顔を見て、クレイグが笑う。それを見たピアーズは、少し恥ずかしくなって俯いた。

 

「じゃあやっぱりお菓子かなんかつまみたいな。コンビニ寄ってこ」

 

ピアーズは近くのコンビニを顎でしゃくった。

 

 

 

 

 

「クレイグおかえり」

「ただいま」

 

玄関から続くホールを抜けてリビングルームに行くと大きなスクリーンにプレゼン資料を映して作業をしているクレイグの母親がいた。クレイグは軽く挨拶を交わす。

 

「あら?ピアーズ君だったかしら、久しぶりね」

「お世話になってます」

「ゆっくりしていって。クレイグ、今日あのひと一回帰ってくるから」

「わかった」

 

高校の時はそれこそクレイグが両親を敵対視しているのがわかるような接し方をしていたが、それもいまはほとんどなくなった。だが一方で、心の距離は変わっていないようだ。クレイグが警戒する他人用に使う仮面をかぶった時の態度を、ピアーズは知っている。

 

「いつ向こうに戻るの?」

「遅くても明日の朝には出るわ」

「わかった。母さんも、働きすぎも良くないよ」

「ええ、ありがとう。わかってるわ。おやすみ」

「おやすみ」

 

クレイグはさらりと言葉を交わして階段を上がった。ピアーズもそれについて行く。

 

「久しぶりに会ったよ」

「最近は本当に帰ってこなくなったからな。下手したら半年は帰ってこない」

 

クレイグは眉を上げた。ピアーズはなんとなく、思ったことを口に出さずにいられない衝動に駆られた。

 

「こんなこと言っちゃいけないかもしれないけど…優しくなったな、クレイグ。お母さんに」

「…まあ、祖母がいなくなってからの俺の人生を作ってくれたのは彼らだから。その感謝はしてる」

「そっか…」

 

沈黙が落ちる。廊下は今日、ひどく寒い。やはりいつもはクレイグが暖房をつけてくれていたのだろう。

 

黙ったままクレイグがドアを開けた。

ホットカーペットと暖炉が部屋を暖めてくれていたらしい、部屋は適度に温まっている。

 

「先、シャワー浴びてきたら?父親も帰ってくるらしいから、会うと気まずいだろ?さすがにシャワーはあのひと専用のとこ使うだろうから鉢合わせることもないだろうけど」

「わかった。あ、これありがと」

「いいえ」

 

ピアーズがダーツに出かける前玄関先でクレイグに預けた荷物を漁る。

そこから下着と部屋着を取り出し、立ち上がった。

 

「じゃ、ちょっと待ってて。すぐ出るから」

「ゆっくりでいいよ」

「早く映画観たいし。あの主人公がまたかっこいいんだよな」

「はいはい用意しておいてやるから」

 

いつも素直に言えないのは何故だろう。画面の中の主人公よりもずっと、本当は目の前の男に夢中なのに。

ピアーズはそっと携帯の電源を落として部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

作:yukino

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